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書き続ける事(dot)で、いつかそれらは繋がる(line/square)

無知の知

「知らない事を知る事から多くは始まる」

というテーマで書きたいと思います。

 

「物事を知っている」という命題に対しては、

 

①「自分が知っているという事」を「知っている」

②「自分が知っているという事」を「知らない」

③「自分が知らないという事」を「知っている」

④「自分が知らないという事」を「知らない」

 

の4つの領域があると思われます。

 

①は自分の知識、言い換えれば「自分の武器」です(正しい武器かどうか❓という議論は別でありますが、それは本筋と外れるので割愛します)

②④は自分の認知の外の話なので、自身の力では対処できません。

(②ってどういう事かがあまり例で浮かばないですが、、例えば「自分に隠された潜在能力」とかでしょうか、、❓)

 

そして③を認識してるか❓で自分の価値を「自分自身で」高められるかどうかが変わってくると思います。かのソクラテスが「無知の知」と言った事です。

 

無知の知はとても有名なので、人によっていろんな解釈や活かし方があると思いますが、ついての私的な解釈/活かし方は以下です。

 

無知の知は知識増やすためのスタート地点

 知識を効率的に増やすためには、③の認識が必須だと思います。「知るべき事」のゴールを明確に設定できるからです。問題解決のために「現状(=知らない事)」と「あるべき姿(=知る事)」の設定が重要である事と似てます。

学校教育の場や、新入社員等は、③の認識を他者が教えてくれます。でも、ある程度経験を積んだ社会人になってくると、③は自分で認識していく必要があります(ベテラン社員に手取り足取り教えてくれる人なんていないですよね普通)

だからこそ我々は無知である事を自覚する必要があると思うのです。自覚しなければ③を認識しない。そしてそれは自分の知識が増えていかない事を意味します。

 

この時代、自分の知識が増えていかない事が何を意味するか、、は細かく説明不要かと思います。一言で言えば「社会から必要とされない人材」になってしまいます。

 

無知の知は私を強くしてくれた

実は私自身無知の知を意識し出したのはここ2,3年ですが、以来「知らない事への姿勢」が大きく変わりました。

 

意識してない時期は、「無知は恥ずべき事」という意識が強く、虚勢を張ったり、知ったかぶりをしてよく失敗してました。

 

しかし意識してからは、周りに対して「これ知らない」とせいせいストレートに言える様になりました。ちなみにそれを言うときの気持ちは「これ知らない(という事をオレは知ってるよ(心の声))」って感じでしょうか。

こういう事をせいせい言うと、意外に周りは色々教えてくれるものです。そしたらそれを吸収して知識にできます。

 

どんだけ歳を取っても、「自分の知ってる事なんて自分の知らない事に比べればちっぽけなものだ」と言う意識を忘れずにいたいものです。